実話 お祈りするカマキリ 虐待を家裁へ訴え闘う🍀

ステップファミリー 継母たちからの虐待 その人生とは

知らせてもらえない実父のアスベスト中皮腫

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わたしは壊れたバイクをその某県境から独りで暮らす家へレッカーで戻った。

家の前に実父が車で来て待っていた。

実父は降りても来ない。
嫌そうにして、ニコリともしない。

運転席から黙ったまま、わたしとバイクに目をやった。

わたしはレッカー車から降りて「ごめん」と実父の方へ近づいて行った。

久しぶりにみる実父はひどく年老いていた、もう、昔の仕事を次々に片付けて行く面影薄く、その老いの姿は悲哀や寂しさをたずさえていた。

老いた実父はわたしに助手席へ乗れと言う。

助手席に乗りこむと同時に「アンタ、どうすんの、このバイクよ」

わたし「いや、どうすんのって、なおして乗れるんやったらこのまま乗るけど、もう、だいぶ古いから、限界やとは思う。修理代金にもよるし、ちょっと、どうしていいか決められへんわ」


実父はため息まじりに「とりあえず、買ったバイク屋でみてもらってみるか」

実父とわたしはクルマの中でバイクを見ながら、修理をするしない、買い替える買い替えない、ああでもない、こうでもないと話しをした。

実父と話をしなくなって随分と経っていたからか、どうも、言葉が出てこない。

ギクシャクしながら、実父の運転するクルマでバイク屋さんへ2人で向かった。


バイク屋さんへ向かうその道中、実父が何やら変なことを言い出した。

「あーあのなぁ、明日、明後日から、当分、ワシはおらへんからなっ」

わたしは急に変なことを言い出す実父の横顔をじっと見た。
わたしは実父の横顔に胸がザワザワした。

いつもの様子とは明らかに違う。なにかを重大なことを隠している。

わたしは実父を問い詰めた。

「当分ってなによ、 当分って、どういうこと。意味わからんから、ちゃんと説明して」

しかし、実父は押し黙って、口を開かない。

これは、いよいよ、おかしい。

そうしているうちにバイク屋さんへ到着した。

バイク屋さんへ着くなり、いつもの馴染みの店員であろう、若い男性が実父のところへ駆け寄ってきて「どんな感じの調子ですか」などと尋ねて、話し始めた。

わたしはその様子を見ながら実父の変な感じと妙な「虫の知らせ」的なものが頭に巡り、 心が落ち着かなかった。

実父はバイク屋さんとの話がまとまったのか、わたしに腕でペケの合図をしながら、クルマへ戻ってきた。

実父「たぶん、ベルトが切れたんやろうって、修理代もバラしてみんことにはわからんって」

わたしは「もう、だいぶ乗ったし、買いかえかなぁ」と呟いた。

すると、また実父が変なことを言い出した。

「もう、ワシもバイク乗らへんし、クルマもやめよう思てる。
あのバイク、ワシに返さんでいいし、修理はやめて、新しく買ったら」

「えークルマやめるって、免許返すん」

また、実父は押し黙ってしまった。
てんで、意味がわからない。

とりあえず今日のところは帰ろうと言うことになり、バイク屋さんを後にした。

実父はわたしを家まで送ると、また、無愛想にハンドルをキュツとまわして転回し、わたしは独りで暮らす家へ、実父はみんなで暮らす実家へと戻って行った。

わたしは家に着くなり、朝から何も食べていないことに気がついて冷蔵庫を開けた。いつものことだが、たいしたものは入っていない。

確か、牛乳を飲んだと思う。
疲れてしまって、何かを作る気にもならなかった。それよりも、頭に残るのは実父の妙な言動や様子だった。


次の日、その実父がやってきた。

実父「もう、このバイクはやめよう、買い替えよう」

わたしは「うーん、まぁ、そうやと思う」

わたしは地道に貯めてきたお金を持ち出して実父のクルマに乗り込んだ。

再び、クルマの中でバイクのことについて、ああでもない、こうでもないと話した。

結果的には壊れたバイクは廃車し、新しいバイクを購入することで話が決まった。

話が決まった実父とわたしはそのまま役所へ廃車手続きを取りにクルマを走らせた。

その、役所へ向かう道中にまた、実父が変なことを言い出した。

「これからは今までよりも、もっと何でも自分でできるようになりなさい」

わたしはその言葉に強い反発を示した。

子どもの頃から、特に、継母や異母姉、異母妹ができてからというもの、普通の家庭の子どもより、頑張って生きているつもりだった。

思わず、これ以上「なにを頑張るのか」と言いそうになった。

が、しかし、どうにも実父の様子がおかしいので、その言葉を飲み込んで様子を伺った。

わたしは「どうしたん」というやわらかめの言葉にかえて聞き返してみた。

しかし、実父は相変わらず、押し黙ったままである。何としてでも聞かなければいけない。とにかく様子がおかしい。

私はしつこく問い詰めた。

しつこく、しつこく問い詰めた結果、ようやく実父が口を開いた。もうアンタには言わんとこうと思ってたけど、明日から入院する。

わたしは「やっぱり」と思った。聞けばきくほど強い「やっぱり感」が駆け巡った。

なんと、その病名はアスベストによる中皮腫だったのである。

病名を聞いた瞬間、わたしは「メメント・モリ」の朽ちてゆく果実の絵画と「死を憶え」が 胸中のすべてを支配した

まさかにしてはまさか過ぎて、胸がどよめき。それと同時に実父の先が長くはないとわかった。

実父はそれを告げるとわたしにクルマからさっさと降りるように促し、ハンドルをキュツときって、転回し、足早に立ち去ってしまった。

残されたわたしは逃げるように立ち去る実父のクルマを見ながら、「アスベスト」「中皮腫」……

アカン。

これはアカン、大変や、モタモタしてはいられない、治療をおろそかにすれば早い。「死は目前」 余命はわずか。


縁起は良くないが喪服がないことや、あの継母にしっかりと喪主を務めることができるのか、いやいや、 それよりも、しっかりした治療を行っているのか、色々なことが一斉に襲ってきて頭の整理がつかなくなった。

まず、この先、どうするべきなのかと思いをめぐらした。

とにかく、治療の様子だ、どこの病院にかかっているのか、病態がどうなのか、進行具合はどの程度なのか、胸水で満たされているのか。

一体、どこでどのようになぜにアスベストに遭い、中皮腫などに罹患してしまったのか、何も話さずに逃げるように戻っていった父親へ、すぐさま、慌てて電話をした。


どうしてもっと早く相談しないの「アスベスト」って「中皮腫」って、なんでそんなもんに遭う場面があったん、 パパ の仕事とはまったく関係ないやん。

実父は電話に出るには出たが、無言で切ってしまう。
実父は自分の死を受け入れようと頑張っている気がした。

どうしてそんな大事なことを今まで黙って、何も言わないで来たのだろう。

国賠訴訟で問題になっているほどの病気なのに……

わたしは継母たちからの虐待で酷い目にあって、実父を恨んだこともあったけど、こんな大事なことを告げずに自分だけで抱えている実父を放っておくわけにはいかなかった。


わたしのたったひとりの肉親だから。


わたしは乏しい知識と人脈の中から、実父の治療をしている病院を突きとめるため、また、スマホをかきまわした。


そして、知り合いの看護師へ電話をし、恥を忍んで事情を話した。

その知り合いの看護師はすぐに状況を理解し、飲み込んでくれ、あいだに入ることを快諾をしてくれた。

ありがたかった。

たまたま、その知り合い看護師が某大学病院の元看護師であったことと、アスベスト治療のできる病院が限られていたため、 治療、入院、手術をする病院はその日のうちに特定することができた。

わたしはすぐさま、その病院へ電話をした。

分かった時は夜の遅い時間であったが、今からすぐ病院へまいりますので、なんとか、実父の主治医と話がしたい。

教えて欲しい。

これまでの経過、容態、手術や予後などについて、 教えていただけないかと懇願した。

この流れは早かった 。 すぐさま病院と連絡がつながり、病棟の看護師長、主治医にまで トントン拍子につながった。

わたしは担当看護師へ簡単に自己紹介を済ませると、すぐさま「えー、つまり、その父親の容態どんな様子ですか」と、矢継ぎ早に訊ねた。

だが、担当看護師の口調は重かった。

主治医、ドクターはお話すると言っているのですが、その、言いにくいのですが、本人(実父)さんが 強く拒んでおりまして、話したくないと言っており……

いつもは妹さん方が来ているので、ですので、こちらに来られましても、病棟へお通しすることができません。

患者ご本人様と私たちの信頼関係を損なってしまうと、後々の治療にも影響して参りますので、本人さんが嫌がる以上は会うことも、ドクターからの説明もできません。

申し訳ありませんがこればっかりはどうすることもできません。


担当看護師は困った様子でそう話した。わたしもかなり食い下がったのだが、どうにもならず電話を切ることとなった。

わたしは悲しかった。
色々な面で悲しかった。

実父の重病を誰も知らせてくれないこと。

継母はもちろん、異母姉も異母妹も誰も何も知らせてくれかなかったこと。

わたしが虐待から逃れて、理不尽な独り暮らししているあいだ、心底からわたしを家族外しして、自分たちだけの生活をしていたこと。

わたしをまったく家族としてみなさず、真にほかされた存在で消されていたこと。

「真に孤独」なのだと確信した瞬間だった。

そして、さらに急に妙なことを言い出す、実父の言動の原因が腹落ちした瞬間でもあった。

「これからは今までよりも、もっと何でも自分でできるようになりなさい」

あの時、あの国道沿いで 実父のバイクのベルトが切れたのはやっぱり「虫の知らせ」だったのだろうか。

わたしは継母に殴ら罵られ、窓に顔を押し付けて泣いた時のように泣いた。

何十年か分の涙だった。

その後、実父とはもう会っていない。どうなったのかも生きているのかも何も知らない。誰も教えてくれない知らせてくれない。

わたしの胸に残るのは「老い」以上の苦しみと対峙する実父

グリーングリーン」の歌

まだ継母たちがいなかった頃、実父がしてくれた「肩車」

「 これからは今までよりも、もっと何でも自分でできるようになりなさい」

胸に残るのはこれらだけだった。

実家へは来たらアカンぞ、アンタの住んでる方の家へ戻りなさいよ

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わたしはスマホの電話帳をかきまわしては助けを求めれそうな番号をさがした。
色々な番号に手は溜まるのだが鳴らすまでの勇気はなかった。

普段から周りのみんなと世間話はしても、それ以上の関りを避けていたし、自身の事情を話すことは一切なかった。
それゆえに周りと自身のあいだには色々な意味で距離があり、そんな、困った時だけ何かを言っていくなんてことはできなかった。しかも、日曜日の朝に電話などできるわけもなかった。

わたしは悩んだ挙げ句、結局、実父へ電話をした。
実父は継母や異母妹夫婦、孫たちとまったく別の暮らしをしていて、わたしとはかれこれ一年ほどか前に用事で会ったきりだった。

わたしは電話を鳴らしながら心の中が不安でイッパイだった。

まず、電話に出てくれるかどうかさえ、わからなかった。
仮に連絡がついても、その電話口で厳しい態度をとられることがわかっていた。

かなり長めの呼び出し音の後、実父が電話をとった。
案の定、厳しい口調の実父だった。

実父「なんや」

わたし「いや、ちょっとパパのバイクおかしいねん、動かへん、エンジンはかかるけど」

実父「それで」

わたし「まだ、朝も早いし、バイク屋らしき店もないねん、このバイクを買ったお店に連絡できる?」

実父「今、そこ、どこやの」

わたし「〇〇(某県境)」

実父「はぁー〇〇!(某県境)なんでや」

わたし「いや、ちょっと用事で モゴモゴモゴ」

実父「まぁ、理由なんかええわ その辺にガソリンスタンドとかはないんか」

わたし「そういうのがまったくみあたらない」

実父「もう、手のかかる子やなぁ レッカーか何かで戻って来たら? ちょっとバイク屋に連絡するから、そこで待ってなさい。もーっ、こっちへ持ってこんといてよぉ。 あー実家へも来たらアカンぞ、アンタの住んでる方の家へ戻りなさいよっ」

予想通りの応対だった。

バイクが壊れた、それがどうした、自分でなんとかしなさい。
予想通りの返答といつものごとく名前でなくアンタと呼ばれ、実家には来るなと言われ「やっぱり」という気持ちになった。

それでも、仕方ない。
戻るしかない。

故障したバイクと一緒にレッカーで自分の住む、独り暮らしの家に戻ることにした。

「なんでも、ひとりでできるようになりなさい、強くなりなさい」

わたしは独りで暮らすようになっていた。
「虐待」といじめに耐えかねた、独り暮らしだった。

GWもお盆も大晦日やお正月もいつも独りで過ごした。

友人・知人と過ごせばいいという意見もあるが、さすがに友人・知人もお盆・大晦日・お正月は家族で過ごす。
わたしは毎年、独りでGWや新年を過ごした。
年越しやおせち料理、お雑煮などというものはもう何十年と口にしていない。
とにかく、独りで栗きんとんや黒豆、お餅を食べる気にはならなかった。

そんなある日、所用のためにバイクで出かけた。
その出かけ先は少しばかり遠方で自分の住む家から40キロほど離れた場所にあった。

目的地まであと10数キロほどかという地点に来た時、急にバイクの調子が悪くなり、途中でとまってしまった。
エンジンが空回りしてボォーン、ボォーンというだけなのである。
エンジンはかかるのだがベルトが切れたのだろうか、どうにも、こうにも動かない。

場所は某主要国道上で交通量の多い場所。

時刻はまだ朝の8時過ぎということや日曜日の朝ということもあって、渋滞は始まっていなかった。
渋滞は始まっていないが、こんな主要国道のど真ん中で立ち往生しているわけにはいかない。
いくら日曜日とはいえモタモタしていると渋滞が始まってしまう。

その前になんとかしなければ!
わたしは焦った。

とにかくバイクをできるだけ道の脇に寄せ、辺りを見回した。
「いやーっ、何もない」
周囲にはガソリンスタンドもバイク屋らしきお店も見当たらず、わたしは困ってしまった。
助けを求めれるような友達もいない。

わたしは独りで暮らすようになってから、いよいよ、人との交流を避けて暮らすようになっていたからだった。
同性であろうと異性であろうと、仲良くなったその相手や周りのみんなに自分の「辛い過去」や「虐待」などの「人生劇場」を話しても、相手の重荷になるだけだと思うからだった。

誰にも頼れなかった。

どうしてよいかわからず、動かないバイクにため息をついた。

そもそも、もともとは実父のバイクだった。
しかし、実父へも連絡をしたくなかった。

「なんでも、ひとりでできるようになりなさい、強くなりなさい」という実父の言葉が胸をよぎって離れない。
厳しい対応をとられるのが簡単に予想できた。

それに合わせて、虐待による「家族」としての長い断絶と独り暮らしのせいで実父でありながらも、年に1~2回しか顔を合わさないようになっていた。

立ち往生するわたしと動かないバイクをみながら、車が行き過ぎてゆく。
陽も射してきた。

その行き過ぎてゆく車には恋人同士や家族らしき数人が乗り合わせて楽しそうだった。
わたしは射してくる陽を避けて国道脇の樹の根元に入り、スマホをかきまわした。

グリーングリーン

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ある日 パパとふたりで語り合ったさ
この世に生きるよろこび
そして 悲しみのことを
グリーン グリーン♪

青空には 小鳥がうたい
グリーン グリーン♪
丘の上には ララ緑がもえる~

その朝 パパは出かけた~
遠い旅路へ
二度と帰ってこないと
ラララ ぼくにもわかった~

ある朝 ぼくは目ざめてそして知ったさ~
この世につらい悲しいことがあるってことを


小学生の頃、音楽の授業でこの「グリーングリーン」という歌を唄って、習ったことがある。
わたしはこの「グリーングリーン」という歌を唄いながら、授業中にも関わらず涙することが多かった。
周りの同級生は怪訝そうにわたしを横目でみていた。

しかし、わたしにはこの「グリーングリーン」を涙せずにして歌えるものではなかった、これはとても、意味深く、胸にこみあげ迫るものがあったからなのです。

それ、そのものの曲の様子は明るいのに歌詞の内容はとても悲しいことを何とはなしに歌っていたからだと思うのです。

わたしは大人になりましたが、ずいぶんと大人になった今でも時々「グリーングリーン」の歌を思い出しては口ずさんだり、 窓の外を眺めながら、空や雲を見上げてはボソボソとワンフレーズつくことがよくあるわけです。


そして、継母に辛く当たられている時に、実父がいつもわたしに言ってきかせた。

「泣くなっ!なんでもひとりで、できるようになりなさい、強くなりなさい」
といってきかせたことを思い出すのです。


このグリーングリーンの歌詞・解釈には様々な議論があるようで
わたしには難しいことはわかりません。

ただ、この歌は確かに悲しいのです。

ながらくお休みをさせていただきました😲

「新型コロナ」とは、お隣の国の「他人さんのこと」だと思って

「ふーん、毎度毎度、穴に落ちたり、道が突然なくなったり、上からモノが降ってきたり、大爆発したり、狭いところに挟まったり、まぁ、いや、本当に大変なだこと……」

と思っていたら、いつの間にか自国の大問題となっているではありませんか。

 

一体、いつまで続くのでしょうか。

マスクなしで出かけると「あれ、なんか顔がスースーするなぁ」

「あ!大事なもの忘れてるワ」とあわてて部屋へ戻る始末です。

 

そのような中ですがブログ再開をしたいと思います。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。 

残しておいた方がいいもの

かくして、家族間調整の果て、わたしは実家や家族から離れて、ひとりで暮らしていくことになりました。

 

継母らは家庭裁判所からわたしのことを「家族」として扱い、人としての「尊厳」を認めること、と進言・言及されたものの、ひとつ屋根の下で暮らすことと、それとこれはイコールではなかったのです。

 

正しくは「あれだけの虐待を受けたのに、今さら、ひとつ屋根の下で暮らすことなどできなかった」といったほうがしっくりくるかもしれません。

 

長きに亘っての虐待の影響は強く「はい、わかりました、これまでのことを反省し悔い改めます、仲良く暮らして行きましょう」とはならなかったのです。

 

もちろん、口に出して言うことはありませんでした。

 

ですが、もう、わたしが色々とダメになっていたのだと思います。心の灯どころか「生木がくすぶる」ような感覚で、それは「虐待の未解決」を意味していたのです。

しかし、家庭裁判所と審判官、調査官との約束を破るわけにはいきません。

わたしは実家を出て、ひとりで暮らすことにしました。

 

実父がまだ小さかったわたしによく言っていました。

継母に殴られて泣いていると「泣くなっ!お前には悪いことをしたと思ってる、運命が変わってしまった。なまじ、親がいると思わないで、なんでもひとりでできるようになりなさい、強くなりなさい」

 

わたしは窓に向かってガラスに顔をくっつけて泣きながら外の景色を憎しみイッパイに眺めました。実父を無責任な人に思って、嫌な人だとも思いました。

 

とにかく、わたしはひとりで暮らすことにしたのです。

 

ほどなくして、家を出るために部屋の荷物を片付けていると2才ほどくらいの自分自身の写真と実父との写真が出てきました。

 

その写真は白黒写真でどこかの遊園地での写真のようでした。背景にはジェットコースターが映っています。実母の写真などは一切なく、家族みんなで撮ったような仲の良い写真なども一切ありませんでした。

 

ひとつ、気になったのが「あるもの」がないことに気をとられていました。それは、確か、実母がいなくなってから、ずいぶんと経った頃に小さな古い木箱を実父から手渡されて持たされたことがあったのです。

 

「これな、お前のへその緒な」

 

その古い木箱には産婦人科の医院名がぼんやりと書かれてあり、わたしの生まれた日が記され、実父の名と実母の名も書かれてあった。しかし、実母の名の部分だけが何かでガリガリにかき消してありました。

 

古い木箱の中には薄い白い紙でくるまれた黒茶色の親指の先のようなものが入っていた。

 

「うーぁ、なにコレ、気持ちワルイ(へその緒)」

 

わたしはその気持ちワルイ古い木箱と実父と一緒に映った2~3枚だけの写真を段ボールの中へぞんざい気味に放り込んでフタをした。

 

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ところで

 

「へその緒」ってどうされておみえでしょうか。大病をしたときにその「へその緒」を煎じて飲むらしいのですが大切に保管してありますでしょうか。

 

このところの「コロナウイルス」のせいかして、時おりテレビなどで「へその緒」を煎じて飲むことについて報じられることがあります。

 

地域によって違いがあるものの、どうも、やっぱり大病をしたときに「へその緒」を煎じて飲むと良いとされているようです。

 

胞衣(えな)ともいうようです。

 

実はわたし、もうその「へその緒」が手元にありません。実家を出た後、何度となく転居をくりかえすうちにどこかへやってしまったようなのです。

親不孝な子ですよネ

 

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そういえば、継母はどうなったかというと次のような様子です。

 

実家から荷物をすべて出し終えて、最後、玄関から出ていくときに継母が玄関先までツカツカと出てきて、次のように、こう言放ちました「今までありがとうございます」くらい言って出て行け。と……

 

わたしはため息まじりに無言で斜め向きに頭を下げて実家を出ました。

 

わたしは何について継母へ「ありがとう」と言えば良かったのでしょう。

 

実母への「へその緒、ごめんなさい」しか思いつきません。

 

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話が戻りますが

それで、「へその緒」は要ります。

 

コロナのせいで「ニューノーマル」とかいう難しい解釈の言葉が取り上げられていますが「ニューノーマル」でも「肉親の写真」と「へその緒」は持っておいたほうがいいように思います。

 

 

虐待の言い訳 懲戒権削除されるかもしれません

民法第822条の「親権を行う者は,第820条の規定による監護及び教育に必要な範囲内でその子を懲戒することができる」 としている規定が削除されるかもしれません。

 

ようやく、健やかに生きてゆける権利を享受できることが実現するかもしれないことにとても嬉しく思います。

 

懲戒権を濫用する親について気がついてくれた司法、ありがとう😃

功利主義とメメント・モリと「#この1年の変化」

お題「#この1年の変化」

この1年はコロナウイルスに振り回されて、正直なところ昨年の今時期、何をしていたのか、なぜかハッキリとしない。大げさですが記憶がところどころであいまいなのです。
 
現在はこのお題を受け、本当に必要なものだけが残り、別段、必要以上のものは手放すことを実践するときがきたと思っています。

立場によって違いがあるかもしれませんが世界全体もそうなのではないでしょうか。

学生時代に メメント・モリ を学んで以降、死生観については実践・注意をはらってきたつもりですが、いざとなると何もできていないことがよくわかりました。


何もできず、何もわかってはいませんが、しかし「命の選別」特にトリアージの黒タグだけはできるだけ実践すべきでないと強く考えます。なぜ、黒タグが忌避されるのかについては説明することもないと思います。

このように述べますと功利主義についてと「ひとりの命か複数の命か」「あるひとりに黒タグをつけることで赤タグのふたりが助かるのなら、そのひとりに黒タグをつけるべきだ」という主張する方がおみえになります。

その意見ももちろん、その通りなのですがその命題は 考えることを考える のが目的のものでもあるので現実と混ぜこぜで考るのはどうかと思います。

実践とは真・善・美などついて実践されるべきでマイナスな実践などは要らないと考えます。

それで、必要以上のものとは物質的なものや時間の使い方、物事へのチカラのかけ方などでしょうか。人間関係や社会生活も自然に必要なものだけが残り、余計なものはそぎ落とされ、淘汰されてゆくのではないかと思うのです。

たとえば、ネガティブで好ましくないコミュニティなど……

自分自身で分けてゆく部分もあるし、自然に振り分けていかれるようにも思います。

春が来て、夏が過ぎる前頃には裏通りなどでワクチン接種券が高値で売り買いされたり、順番をめぐって喧嘩をしたり、何も持たない者は無敵の人だったりするかもしれません。

これがわたしの感じた「#この1年の変化」です。

家族間調整

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継母はわたしの実母がダメだったゆえ、わたしもまったくのダメ人間で「しつけ」をし直た……と主張。

 

裁判所は継母へ「相手を尊ぶ」という気持ちなどについて話し、いくらダメで悪いからと言って、洗面器が割れるまで殴ったり、ホースで水をかけることが「しつけ」だとは思えないし、暴力はどうかと思いますよ。と進言した。

 

その後、継母は審判官から家族間調整として、いくつかの約束事をしました。内容を詳しく述べることはできませんが概ねは次のようです。

 

相手を自分の思うままにしないこと、何よりも「家族」として認めることなどです。

 

わたしは審判官からそれら約束事について、記された調書を受け、条項を弁護士と読みながら話しをしました

 

自分たちも含めて、誰しもが必ず自分のしたことの責任に迫られるときがくる。それが明日なのか、死に際なのか、どのようなカタチなのかはわからない。

 

継母や異母姉、異母妹もこれをもって自身の振る舞いと向き合う責任を負って生きていく。審判官とそのようにかわしたからにはそれを破ることはできない。

 

それはとても重い。

 

弁護士とそんなことを話しながら裁判所を出て、わたしは家路に、弁護士はタクシーで解散をした。

 

今さらに思いますが民事裁判のような勝ち負けなどがあるわけでもなく、罰金のようなものがあるわけではないけれど、これによって、虐待など、とんでもないことをすると大変なことになるのだとハッキリしました。

そして、その事実は公明正大な場所に残ってゆきます。

 

絶対という言葉はできるだけ使いたくありませんが、虐待は絶対にゆるされません。

 

人、ひとりの人生を変えてしまうのであるから。

 

カラダの傷、心の傷はもとには戻りませんが、このようにひとつ、ひとつ、物事を片付けてゆく、うやむやにしないこと。

 

そして、ようやく前へ進むことができると考えます。

 

幸せになるために足下の石を取り払い、その道を照らす灯、心の灯をもってして、悲しみや苦しみ、悔しさを優しさや温かみにかえて、懐深く、真の強さを持つ人間となれるように思うのです。

 

時々、心の灯が消えかけたり、立ち上る炎になることもあるかもしれません。

 

ですが、上に述べたような人間になれるよう目標にして参りたいと考えます。

 

すると、そのような心持ちの人が周りに集まってきて、真の幸せを体験することができるのではないでしょうか✨🍀✨

調査官、これでは傷ついてゆくだけ

調停は中断となり、わたしと調査官と別室で2時間ほど話をしました。

わたしは苦笑いをしながら調査官へお辞儀をしたと思います。

調査官は「んー」とうなずくくらいで、なにも言いません。とても静かで落ち着いており、上から目線になるような事もありませんでした。

調査官は余計なことは何も言いませんが弁護士をとおして、ハッキリしたことがありました。

継母方はおそらく、反省のようなことはできておらず「申し訳ない」とか「謝る」という概念がないようで「事」が理解ができていない、異母妹も出頭がない。

わかっていない者との話しは相当、難しいですよ。

これではあなたがどんどん傷ついて、余計に悲しい思いをするだけ……

家族間調整の必要がある。

とりあえず、いったん、解散して弁護士は調査官とどこかへ行き。

わたしは裁判所の地下にある食堂で他の弁護士や裁判所の方々に混じって、みんなと同じ定食を食べました。

ちなみに定食の内容は日替わりで味は普通です。

本当かどうかわかりませんがわたしの代理人弁護士は難しい勝負裁判がある日は 「カツ丼」を食べるそうです( *´艸`)


そして、その日は調査官と弁護士と相談をしながら、次回の出頭日の約束をして帰宅しました。

普通、概ねは2回~3回ほどの出頭でなんとかなることです。

異母姉は訴えませんでした

裁判所に申し立てる際、異母姉は訴えから、外しました。

 

もちろん、色々と悔しい思い、悲しい思いはしました。

 

異母姉はケンカの練習と言って、わたしにビンタをあびせたり、容姿についてバカにすることもありました。

 

裁縫針が刺さった、刺さらないについてのことでは果たして、本当にわたしに責任であったのか、どうかもわからないまま、洗面器がバキバキに割れるまで殴りまわされることになりました。(洗面器殴打事件)

 

もっとも、屈辱的であった土下座と家中引きずりまわされた暴力の件の、異母姉が不良になって、グレた責任はわたしにあるとして、わたしが異母姉や継母へ土下座させられたことも、到底に納得なんてできていません。(土下座させられた)

 

自分たちだけ、継母と異母妹、異母姉らでミスタードーナツを食べて、わたしだけ、食べ物外しをされたことも「PTSD」として残っています。(ドーナツをほおばる姿をボーッと見ているしかなかった)

 

このようなことですから、思うことは色々あります。

 

ですが、異母姉は異母姉で色々と辛いことがあったのではないかと想像できるため、訴えることはできかねたのです。

 

自分の目で見たり、聞いたりしたわけではありませんがわたしの実父が異母姉にあまり、優しく接していたような場面がなかったように思います。

 

もしかしたら、実父は異母姉に冷たくしていたのではないかという想像もしてしまいます。

 

異母姉の立場に立てば、 わたしが受けた虐待とはカタチや内容に違いがあるとは思うけれど、異母姉も被害者なのかもしれません。

 

聞くところによると異母姉はわたしの実父との再婚に拒否し、反対していたそうです。

 

きっと、無理矢理、わたしの家に連れて来られたのでしょう。実父のことを「おっさん」と呼んでいたことを思うと、きっと、異母姉にとって、わたしの実父はイヤな存在だったのだろうと思います。

 

今後、わたしが異母姉を訴えから外したことについてどのように捉え、考えるかはわかりません。

 

願わくば、公平な目線でこの「虐待」について、しっかりと熟慮される日がくればと思います。

 

「あの時のことは、私はこう思っていて、悲しい思いもあったんだよ。でも、あなたへの虐待を止めなかったことは、それは申し訳なかった」

 

と、いうような会話がなされること、そのようになれば素晴らしいと思います。

記事 推敲中

いつも、 お読みいただいてありがとうございます。 本当に感謝しています。

 

ただいま、記事の推敲中でございます。

もう少しお時間を頂けると嬉しいです。

訴え申し立てます その5 逃げる異母妹

出頭せず、逃げた異母妹も異母妹ですが、異母妹の周囲も周囲です。特に異母妹のご主人の「ひととなり」がよくわかりました。
できる人ならこう言うでしょう。

「逃げないできちんと出頭しなさい」

それが異母妹自身にとって腹立たしいことだかろうが、悔しかろうが理不尽と感じようが、異母妹のご主人、わたしからすれば義理の弟は異母妹へ裁判所に出頭しなさいと言うべきだと考えます。

なぜ、こうも堂々とできないのでしょうか。

異母妹自身が幼少期のことで記憶にないことだと言うのなら、そのように言えば良いですし、あずかり知らないことなのであれば、そのように説明すればいいのです。

また、知らされた「事実」について、もしも、心に感じ入ることがあれば、そのことについて言葉にし、謝ることでないと思うのなら、それをそのように述べれば良いのです。

もちろん、それによって意見が対立することもあるでしょう。

気持ちや言葉、特に「申し訳なかった」という思いは上からはおりてきません。
心の下の方からグーッと押し上げられて、湧き上がってくるものではないでしょうか。

それが「真」だと思うのですがどうでしょうか。

異母妹は現在も逃げ続けていますが「おむつ」や「イトヨリ鯛」など、わたしの手をかり、あるひとりの人間の人格や尊厳を踏みつけて生きている事実からは逃げられません。

おそらく、逃げ続ける限り、異母妹も死ぬまで人格を尊重されることはないと考えます。

出頭がなかったことはいつまでも逃げ続ける異母妹として裁判所に残り、時が経ち、わたしが死んで、異母妹も死んで、このことがとてもとても昔のことになっても、今後の虐待における紛争において裁判所や調査官・弁護士の経験則として残ってゆくからです。

まずは取り急ぎその5を更新させて頂きます。
いつも、お読み頂きありがとうございます。

訴え申し立てます その4 卑怯者

続きです

弁護士とわたしは調停員方との話を中断し、一緒に部屋から退室しました。わたしたちは廊下をコツコツと歩き、裁判所内の少し奥まった席へ腰をおろした。

弁護士は「ダメですね」とつぶやきました。わたしも「そうですね、あれでは……」

一体、調停員が何を言ったかと言うと、それは虐待する親の常套句「しつけ」だと結論づけようとしたのです。

話し合いも始まったばかりで、事情も何もよく分かっていない時点で簡単なことを言い始めた調停員の姿勢。

しかも、聞きあきた「しつけ」という言い逃れの典型・常套句。

ニュースの報道などで実際によく聞く文言です。

それについてわたしは虐待する親の常套句「しつけ」という言い逃れは聞きあきたと返答した。

調停員さん、あなた方は「しつけ」で、ご自分のお子さんへ 食べ物を外しやホースで水をかけたり、熱いアイロンで小突いたり、洗面器が割れるまで殴り回しますか、と返しました。

すると、女性の調停員さんがワントーン声高に

「お母さまはあなたのためを思ってやってるんですよ! 」

とおっしゃったのです。

わたしは調停員へ「いや、違う」それはとても、わたしのためとは、そのように思えない。

「叱る」と「怒る」との違いくらいに違っている、違い過ぎる。

「しつけ」とはそこに愛情がともっなっている。

そこに書かれてあることのどこが「しつけ」なんですか。それらのどこに愛情がともなってるんですか。何を言ってるんですか。

すると、おじいちゃん調停員がのんびり気味に「それで~ 着地点はどのようにしましょうかねぇ」と口をはさんだ。

さらにその上、その女性調停員は「お母さまからお手紙をあずかっています、そこにはこの子(わたし)が社会で恥をかかないように厳しく育てた……と書かれてありますよ」と、のたまった。

もう、正直なところ調停員と喧嘩になりそうでした。

そして、継母も継母です。そんな手紙を裁判所に送るなど、ずるい人間の思いつきそうなことです。

裁判所から出頭・呼び出しがなされた時点で腹をくくって出頭すればいいことです。

自分が「しつけ」であったとして「真」に正しいことをしたのであれば余計な「手紙」など、必要ありません。

わたしから言わせれば見苦しいとしかいいようがない。

心のどこかにどうも、なにか思い当たるところがあるから「手紙」を送るようなことを思いつくわけです。

もし、どうしても送るならわたしに送るのが筋です。

もうひとつ、筋を通さなかったのは異母妹です。異母妹は出頭しませんでした。逃げたのです。

異母妹 B子は最後まで逃げに逃げ続けました。 現在も逃げ続けています。

「一事が万事」とはこのことです。

訴え申し立てます その3 調停員

その2からの続きです 。

 

わたし自身、手もとに保管していた申し立て書を読み返すとあらためて「いや、しかし、まぁ、これはひどいなぁ」と思います。

 

こちらで記事にして述べてきたこと以上のことが記されています。

 

そして、まずは調停からはじまります。調停は個別で調停員と話しをします。

 

いきなり継母らと対峙するということはしません。それぞれにそれぞれの言い分を聞くようです。ですが、これが もうまったく、あてになりません。

 

これもう、この調停員さん方は人工衛星ですか? 宇宙ステーションですか?みたいなくらいな上から目線なのですから。

 

昔、教員でもしていたのかのようなご婦人と元医師か研究者か学者さんのような、おじいちゃんとの2人組でした。

 

馬鹿にするつもりはありません 。

 

わたしの話し方などにも問題があったのかもしれませんが、ですがねぇ、そもそもです、幼少期からおそらく恵まれたであろう環境で育ち、 十分な教育や十分な機会 、愛情も受け、その続きのそれなりの人生を生きてきた方に何が分かるというのでしょうか。

 

なんだかですね、テレビのニュースのあるワンシーンのようなトンチンカンな意見・見解を披露なさるわけです。

 

本人達は一生懸命なのかもしれませんが、とんでもない環境で育ってきた者の気持ちや心情・立場、将来に対して希望がないなどの細かなことは理解ができないんだなぁと思いました。

 

こちらとしては「この人達、ちょっと、何言ってるかよく分かりません 。あのー、あのですね、もういいですかねぇ( *´艸`)」なんです。

 

こうなると話し合いがストップしてしまうので話し合いは中断となり、退出します。

 

代理人弁護士も休憩・退出を促します。これ以上わたしを傷つけることをさせないためです。

 

意味のない議論はしません。

 

調停員は社会経験が豊富で人格の高い方が任命されるらしいですが、どうなのでしょう、わたしはその部分に疑問があります 。とても、そのように感じられませんでしたので今後も期待はできないと思っています。

 

唯一、調査官はバランス感覚のある方でした。